「犬の事情」


おや。そろそろ散歩の時間じゃないですかね?ご主人様。

しっぽをふりっふりっ。
真っ黒な瞳をくりっくりっ。
そんな彼はリビングのテーブルに、
ほおづえをついている男を見上げた。
男の前におかれているカップには、
焦げ茶色の苦い液体が手付かずのまま。

うぉーい。今日は天気がいいんですよ。
散歩日和なんてすって。

髪はぼさぼさ、荒れたまま。
口はぼへぼへ、半開き。
そんな男はテーブル下で、
男を見上げる彼には気付かない。
彼らの後ろで窓の風景が、
天気がよすぎて外がぼやけて見える。

奥さんが出て行ってしまって気の毒だとは思いますがね。

目はだくだく、物を見ず。
耳はもくもく、音を無視。
そんな男がテーブル下で、
しっぽを振る彼に気づくはずがない。
彼らの前のテーブルに、
出てった妻の置手紙があった。

何もしないでいたって意味がないんですから。ねぇ?

頭はぼんやり、思考回路ショート中
体はぐったり、神経経路渋滞中
そんな男にテーブル下で、
彼は我慢の限界を感じはじめた。
彼らを包む空気は、
心地がよくて肌に優しい。

もーうっ!午後雨がふったりしたらどうするんですか!

生気も霞んでいるような男に、
彼はがまんできずにテーブル下から見える足に、
気を配りながらもカプリと噛み付いた。
驚いた男は「痛い」と声をあげて、立ち上がると
やっとテーブル下の彼に気がついた。
散歩用のリードを
ちゃっかりと足元においてあるのにも気がついた。
男が今までどういう状態だったのかにも気がついた。
これからどうするのがいいのかにも、気がついた。

やっとつれてってくれるんですね!
そこまであわてて準備しなくてもいいですよ〜。

あわてて身支度をする男に、
彼はしっぽだけでなくおしりまでフリフリ振らんばかり。
けれども、男は彼にリードをつけずに
かわりにキャリーケースへ閉じ込めると外へ飛び出した。
出て行った妻を家族総出で迎えに行くために。
男は「ありがとう」と
犬によびかけ意気揚々と駆け出す。

えぇ?私そんなことどうでもいいんですけどー。ねぇ!!



END